■ Days 03.06.26



1979年バハマにて

7月4日 大塚で Live(あるいは「ベニスに死す」)

 Gold Rocks との都内ライヴハウスサーキット初日。
JR大塚駅前をのどかに走る路面電車の踏切を越え、さびれた商店街のその奥にライヴハウスはあった。街は、自分でどうイメージをもってゆこうと下町の風情だ。ろっくとは無縁、むしろ近代文学的な感じがしないでもない。音楽の方向へとインスピレーションを起こすにはむずかしく、下着のコマーシャルを見て無理にわいせつなイメージへと努力するかに似ている。
 その真っ昼間、今やマネージャー秘書と化してしまったPants(さっちゃんパラダイス)と商店街を地図を頼りに歩いてる途中、「じみぃさーん。」という声に振り向くと、金髪の派手なにぃちゃんがサックスケースを持って歩いてきた。「よう、あおいちゃんオハヨー。」爽やかな愛らしい笑顔と、両肩に入ったたくましいモンモン。こんとらすとが、またええ感じやんけー。おぅ?アオイちゃん。

 ライヴハウスは昔世話になった心斎橋バハマのように狭く、その屋外の楽屋は縁側の香りがした。
 リハの後はふたたび楽屋入りするまでの時間が長い。対バンでは、出番があとになるほどリハの時間帯が早く、出番が早いほどリハの順番があとになるわけだから、入りの時間が遅くてすむ。なので出番は最初が望ましい。
 いよいよ本番間際、衣装とヘアーメイクの準備も終え楽屋でAoiと雑談していたら、すでにオープニング曲が始まっているとスタッフから聞かされ、あわてて会場へ。なるほど、何らかの伝達が狂ってしまい、俺とAoi の出が遅い為、セッティング込みで先にステージへ出ていたメンバーは待っていられなくなり始まりを知らせる意味で一曲目の演奏をはじめていたのだった。曲の途中で参加という前代未聞のオープニングを経験した。しかしこういうスリリングな演出もアリだ。
 狭いステージでは客との距離があまりにも近く、お互いの表情が手に取るようにわかる。これなら座ってファンと対談でもしたほうが良いのでは。とかいった考え、その他オノレの邪念と闘いつつ、覚えたてのメニューをこなすだけでセーイッパイ。リズムギターDaiちゃんの正確なカッティング、ならびに彫師ドラマーKenKenと、あなどれない温泉好きベーシストBackyというスマイリーなリズム隊にささえられ、初ライヴは愉しく順調に進行。なにを隠そう、Gold Rocks は演奏力がバリなのだ。

 ライヴ終って、Paul Position をやってるStreet Sounds のサノちゃんに44のファンサイト、revive 44magnumと Still Alive の管理人である御二方を紹介される。これらのファンサイトが存在してなければ44magnum 13年振りのアルバム「IGNITION」もつくる気にはなれなかっただろう、と思うとやっぱり感動的な対面だった。 Gold Rocks 版 「Your Heart」も好評。「Your Heart」は今だにリフが気入っているだけでなく、Paulとバンドをやり始めた19の頃にできた曲。のちに正式録音された楽曲中たぶんもっとも古く、その分思い入れも多くある。





7月8日 池袋Live(あるいはアル中ハイマー?「憶えていない」)

 小雨。池袋へは普段めったに行くことがない。なのであまりわからない。今までに何度か楽器フェアで訪れたことしかなくサンシャインビルしか知らなかったが、街中を歩いていると、古き良き時代の繁華街といった趣が残っている池袋に今さらながら新鮮さを感じた。
 午後イチでライヴハウス Chop にて機材搬入。この日は出演バンドが多く、リハも20分しかない。
 据え置きのギターアンプ、マーシャル2台とレクティファイアー1台のうち、レクティを使ってみたら音が最悪だった。しかし他のアンプにセッティングし直す時間がないままリハの持ち時間は終わる。そのまま本番へと持ち越すしかなかった。
 ファミレスで時間をつぶすこと約3時間以上。その間、曲をおぼえる為ひたすらMDを聴いた。
 夜、ライヴハウスへ戻って楽屋入りする途中、観に来ていた客に腕をひっぱられて呼び止められ、動揺。前のバンドが演奏中で会場は暗く、声も聴きとりにくい。
「ねぇ、××だけどあたしのことおぼえてる?」憶えていない。
「じみぃでしょ?」
「そう。」
「ホントにおぼえてないのー!?」困った。ほんとに憶えていない。
「だれだっけ。。」
「えー、しんじられなーい!」何が?
「あのー。ライヴおわったら思いだすようにしますから。。。」咄嗟のことでこのような対応となり、ジッと顔を見て考えているわけにもいかないから、ばつの悪いままその場を去るしかない。
 トラウマなのか、何に対してかわからない罪悪感にかられ、楽屋で準備しつつも思い出そうとしたが及ばず、本番になってからも努力したが無理で、思い出せなくて本当に悪いことをしたような気がした。。。しかし、何でやろ?
 この日ギターテックのBoo 奥村は欠席で、かわりに元ギタリストだったらしいサノちゃんがステージソデでギターテックモドキをやって手伝ってくれた。
 わかっていた事だが出音はリハと変わらずやはり悪く、思ったように弾けなかったので、観ていた他の出演バンドのギタリストにナメられたかもしれない。しかしそれよりもライヴ前の会話が気になる。怒って帰ったのかその後、彼女を見なかった。俺の記憶がヤバイのだろうか、すでに。
 終ってから サノちゃんが笑顔で言った。
「じみーさん、今日マジで良かったっスよー!」
 ちがうんだな。




7月9日 池袋で Live二日目(あるいは「俺たちバンドマン」)

 雨。池袋 Live Inn Rosa 。呼び込みのにーちゃんねーちゃんチラホラ、ロマンス通りという名の歓楽街にそれはあった。着いてみると、地下へと続く入口通路が居酒屋兼になっていて狭い階段づたいにチョウチンが飾られてあるのでマジかよ。。と思いきや、B2 だったかB3 のライヴ会場は小ホールのように立派で、重い扉を開くといつもに比べわりと広めのステージ。見るなりヤル気が出た。
 出番が2番手だった為、あの退屈でもっとも疲れる本番までの待ち時間が短くて済んだ。
 ライヴの出来はこの3回でいちばん良かったかもしれない。毎回、ひとりひとりの出来不出来の差はほとんどなく、メンバー同志おなじ感触を持って喜びあえている。バンドでんなー。
 搬出の時、他の出演バンドから御丁寧な握手を求められた。ミュージシャンにウケるのはやはり手ごたえがあり、最高のオセージともとれる。素直にうれしい。






7月17日 池袋 Live三日目(あるいは「池袋パラダイス」)

 朝9時に起きる。最悪にちかい睡眠不足状態。

 正午現地着。池袋Cyber。隣がソープランドで、真向かいがラヴホテルである。今までいろんなライヴハウスを見てきたつもりだが、ある意味こんな便利な環境を知らない。リハ終わりから本番までの待ち時間をソープにあそび、ライヴおわりでファンといっしょにラヴホへ行け、ってことか?

 今回は自分のマーシャルを使ったのもあって、久し振りに自分の音を出せてやりやすく、バンド全体のコンディションも良かったのかグルーヴも素晴らしかった。




7月18日 目黒にて Live (あるいは戯曲「目黒鹿鳴館」悲劇二幕)

朝子 いつも冴えないお顔色が、御血色も大そうよくて、お目がかがやいて見えますわ。
影山 それはね、私が生まれてはじめて感情にかられて行動しようとしているからだろう。
(__略__)
影山 あんなに永いこと離れていながら、あなたと清原は信じあうことができたんだ。私とあなたの間にはそんなもののかけらでもあったかね。
朝子 ございませんでしたわ。でも、あなたがそんなものがおきらいだから、私もそれに従ったまででございます。
(三島由紀夫『鹿鳴館』から)


 いにしえの鹿鳴館。アマチュア時代、Magnum でライヴやりまくった鹿鳴館、昔、オオイシが暴れてた鹿鳴館、今年5月、Gold Rocks と知りあった鹿鳴館。あいかわらず幽霊いそうな鹿鳴館。やっぱり目黒鹿鳴館。



鹿鳴時代

 /  平成十五年(二〇〇三)七月十八日
 /  第一幕 目黒鹿鳴館楽屋
第二幕 目黒鹿鳴館舞台上
 /  葵 (ヴォーカル)
大治 (ギター)
けんけん (ドラム)
ばっきー (ベース)
じみー (ギター)
なひろ (マネージャー)
鹿鳴館スタッフA、B、C


第 一 幕

平成十五年七月十八日、梅雨明けぬ日の午後である。目黒鹿鳴館の地下の楽屋。よくある寂れた舞台裏の楽屋風景。リハーサルをおえたばかりのバンドマン五人、衣装に着替えながらモニターがどうしたとか、スタッフの娘が可愛いとか、靴がここわれたとか口々 に雑談中。上手には鏡張りと化粧台、中央に椅子が五、六脚。下手の白塗りの壁にタイムスケジュールなどが貼ってある。やがて上手奥(楽屋入口)より、アンケート用紙やその他備品を抱えながらマネージャーなひろ登場。

けんけん あっ、なひろー、後で俺の煙草買って来てー。
なひろ はーい。(右手を上げまわりを見渡しながら)皆さーん、後でコンビニ行きますけど何か要るものあります?

(皆、それぞれ必要なものを申告する。)

(なひろ、コンビニへ行く為、上手から退場。)
大治 (髪を立てながら、じみーの方見る)じみーさん、オープニング なんですけど、俺が一曲目のイントロ弾きだしたらけんけんとばっきーが入って、幕が開いてそのあと葵がシャウトしますから、その時ギター引き始めて下さい。・・・じみーさん?

(じみー何やらギターを振って、首を傾げている。)
大治 (怪訝に)どーしたんですか?
じみー あ、ごめん。ギター振ると中で音がするみたい。何かいるのかな?

(ト真剣な面持ちでギターを振る)
ばっきー (これをさっきから興味深そうに眺めながら)ギターのパネル開けてみましょうよ。
じみー (ドライバー片手に、恐る恐るパネルを開けてゆく)あっ。

(幅一センチ、長さ三センチほどのパーツが外れていた。)
ばっきー 何ですか、それ。
じみー コンデンサーだね。たぶん。
ばっきー やばいんじゃないですか?
じみー やばいね。たぶん。
ばっきー すぐ直せるんもんなんですか?
じみー 無理だね。絶対。

(そこへ下手より、鹿鳴館スタッフ元気に登場。)
鹿鳴館スタッフA まもなく本番です!宜しくお願いしまーす!

(__間。)
ばっきー 音出ますかね?
じみー (全員見まもる中)・・・どうかな。

__幕__

第 二 幕

鹿鳴館舞台上。幾分大音量でBGMが流れる中、客席との幕が引かれてある暗がりの舞台上。下手から大治、ばっきー、中央に葵、けんけん、上手へじみー、と各位置に着く中、鹿鳴館スタッフBとC舞台上を行ったり来たり。更に幾分大音量でBGMからSEへと移った時、大治、第一曲目のイントロをギターで弾き始める。しかしこの場に及んで葵とスタッフ、幾分大音量の中、耳元へ大声で話しかけ打ち合わせている。要するに何かトラブっている。
(ここで重要なのは、葵は焦った臨場感を高める為、出来るだけ早口でスタッフへと喋り、大治はギターを弾きつつも視線を葵の方へ、ばっきー、けんけん、じみーの三人は平静を装いつつも内心の不安を表情に醸し出していなければならない。)

(割りと大声で)×××××・・・! ×××!?・・・・

(SEとギターの大音量な中、言っている内容が聞こえない。)
鹿鳴館スタッフC ××××××?
×××××××!・・・・×××××?
鹿鳴館スタッフB ×××××?
×××××××・・・×××・・・・・×××××××!!?
鹿鳴館スタッフB ×××××・・××××××××××??

(__間。)
××××××××!・・××××××××!××××××××××!?

(トここで、けんけんのドラムとばっきーのベースが入り、舞台上は更に大音量へとなる。)
××××××!!・・・××××××××!?×××××××××!!!
鹿鳴館スタッフB ×××××××××!・・×××××××××!?
×××××××!!××××××××××?
鹿鳴館スタッフC ×××××××!?
××××××××!!×××××××××・・・・・・!
鹿鳴館スタッフB ××××××!・×××××××!?
××××!!××××××××××!!!

(約一曲分もの長さのイントロがつづいた中、やっと幕が開く。)
(割りと笑顔で)こんばんはー!ごーーるどろっくすでーすっ!!

__幕__








7月22日  恵比寿にて Live(あるいは「バイオリンボウ。 Jimmy Page のカミさん」)

 Guilty。
 今回は恵比寿というのもあって、アクセスしやすいのか知人、関係者がたくさん来てくれて感激。
 バイオリンボウをライヴで初めて使う。当分これにハマることとなりそう。10代の頃からいつかは使おうと思ったバイオリンボウ。忘れていた。
 今月はじめ、クラシック専門の楽器店へ忍ぶように入って弓のコーナーを見ていたら、店員に「バイオリンですか?」と訊かれたので「いえ、ギターです。。」と答えると「えっ。(微笑)」とか言われ、なめられた。真顔をやめ、和んだ笑顔を浮かべながら店員はいろいろと手ごろなのをすすめてきたが、こちらは弓の弦が馬の尻尾の毛で出来ているくらいの知識しかなく判断基準がないので、店員にイチから弓の理屈をおしえてもらった。
 「エレキギターで使うヒト来ないですか?」
 「稀にいますよ、そういうお客さん。」(自分のような客はこういう店では変態に属するらしい。)と、愉しそうな表情で応え、「わからないことがあればいつでもレンラク下さい。」と、帰り際言ってくれた。

 滅多に行かないが、普通の楽器屋でもなめられやすい。94年にぶらっと入った原宿の某ナントカ楽器でレスポールカスタムを衝動買いした時も、店員に「バンド組んだりしてんの?」とか訊かれ「まあ。。」と答え、「何系?」とか訊かれた時、レジの傍にたまたま自分が表紙になっているカタログがあったので、それを指さして「こういうカンジ。。」と、答えてみたが「ホントー。」と言いながらにやけた顔でカタログには眼をやらず、普通に無視され「弦、ワンセットつけてあげるねっ。」と言われた。
 しかしその時買ったレスポールカスタムは、3台あるうち今でもいちばん気に入っていて、レコーディングでしか使わないほどだが、そのギターを弾く時、この買ったときのことを思い出すこともある。あまりいい思い出とはいえない。




 帰ってから試してみたところ、いろいろなことがわかった。
 ギターで使うには、バイオリンやチェロのように角度が充分でない為、1弦と6弦の弾きやすさにくらべて2、3、4、5弦は非常に音が出づらい。その為、コード弾きはともかく単音で弾く場合、どうしても1、6弦のみスライドさせてヴァリエーションをつくるしかない。で、できる限りのことを試みると、それがどうしてもツェッペリンでやっていた頃の Jimmy Page のアレンジに似てくるのだ。つまりエレクトリックギターと弓でやれるヴァリエーションのほとんどすべてが、30年以上前に Jimmy Page によってやりつくされていたことになるようだ。 Page はやっぱ天才。

 話はかわるが、ペイジが錬金術師といおうか黒魔術で有名なアレスタクロウリーに傾倒していたのは有名な話だが、このあいだ人から、当時フランスの一流モデルだった彼のヨメが、なんと黒魔術の第一人者であったのを聞かされた。うつくしい話である。クラプトンやベックの枠なんてこえている(ギターをなめている)人間ばなれした Jimmy Page に対する理解がやや深まった気になる。ナイジョノコウかそれとも魔女の功か。いずれにしても天才には似合う。
 ギタリストとしてのJimmy Page にオソレ多くも共感の持てるいちばんのことは“基本的に邪道である”ということだ。ロックはジャドウであるほど、素晴らしい(言いきる)が、実は難しい。ロックは理屈ではなく、マジックだ。マジックをつくりあげようとする行為と中世からの錬金術がめざすそれとは何ほどもかわりはしないだろう。科学も文明ももとは錬金術から産まれた。邪道とは欲望の基礎であり、最終的な応用なのだ。

 スムーズに音を出すためには、弓の弦のテンションをなるべく強く張るのがいいことがわかった。(Jimmy Page のビデオを観ていると、弦が途中で何本も切れているのはそのせいだ。)
 あと、松脂を充分塗ることと、ディレイも欠かせません。





7月23日 雨の神楽坂(あるいは神楽坂で Live )

 朝から雨。昼間の神楽坂は初めて。毘沙門天あたりを地図をたよりに歩いていると、Aoiと遭遇。
 さすが風情ある神楽坂のライヴハウス。花崗岩のような岩石が壁や床、ステージにまで嵌め込まれるという意匠が施してあって、フロアにお湯でも溜めれば、さながら純和風旅館の岩風呂大浴場。好みだ。客としてなら。
 狭いスペースに多数の出演バンド。リハ。楽屋待機は不可能なので降りしきる雨のなか機材車内で衣装に着替え、ヘアーメイクまでやった。デビュー前、よくこれをやったが要領は今でも得ていて割とスンナリいった。
 本番、出来はマアマア。終了後、Bambinoとライヴに来れなかった地元のPoo 、人妻ふたりと路上にて会う。せっかくなので飲みにいきたいが、明日もライヴ。まじめなオレ。
 神楽坂にて飲まずに帰るのはこれが初めて。




7月24日 四度目、池袋(!)Live



 ライヴ終わりにメンバー、スタッフ全員そろって打ち上げやるのは初日以来。
 朝帰り。





7月29日 Live、はじめての 西荻窪(あるいは「もう厭きた」)

 初めておとずれる西荻窪。

 そろそろ、ライヴやってる自分にあきてきた。まただ。自分に厭きる、とはどういうことなのだろうか?個人的な進化への壁なのか?これで克服できればいいが、できなければ時間とともに倦怠となるだろう。なにか、変わりたい欲望ではあるようだ。進化は孤独だというけれど、俺にすれば進化とは憂鬱だ。
 もともとこの世に“意味”などはじめから存在しないのだから、自ら“意味”を創ってゆくことが生きてゆくことなのだ。たとえば恋愛においての“愛”さえも人の想像である(人の創ったものである)。とすれば倦怠(アンニュイ)とは、最悪でしかないな。





7月31日 ライヴハウス赤坂

 都内ライヴハウスサーキット千秋楽。場所はこのあいだ殺人事件があったマンション近くのライヴハウス。
 この日、6バンド(!)のうち4バンド(!)が出演キャンセル。おかげで楽屋が使いやすく、そのかわりに本番時間が40分から1時間20分(アンコール含めて)に。
 赤坂の飲み屋で打ち上げ朝まで。店内で今日観に来てくれていた、サノちゃん、44ファンサイトのイケちゃん、ホリさん、ポールのところのシン(イグニションで英詩のディレクションをやってくれた。)、ソウルチャイルドの女ふたりの飲み会と偶然遭遇。少しの間いっしょに飲み、ファンサイトお二人の夢を壊し、ソルチャの女に説教する。

 三日に一度の割合でライヴしたこのひと月もあっという間だった。





8月11日 神田に遊ぶ

 この世に存在するあらゆるマテリアルの中でも、パルプ素材が特に好きなせいか、神保町の古書店街へ行くとムチャクチャたのしい。人の残したエネルギーと知識の宝庫に幻惑されるかのようだ。
 ゲーテ「ファウスト」に関する、大正時代に岩波から出された評論(魂宿るかのごとく妖麗な装丁。アンダーラインとか繊細な書き込みがあって、1933年のサインがある。元持ち主はもうこの世にいないとおもわれる。タイトル「地獄の征服」。)と、マルキ・ド・サド関連二冊買った。サドに比べれば、あのボードレールでさえ肉感に乏しい。世間でいうサディズム = サドはあまりにも安易でっせ。




8月18日 追悼、 BLITZ

 近々閉館になるという赤坂 BLITZ での S.O.A.P. のイベントに Gold Rocks で出演。ラクリマクリスティ含む3バンド。バンドとして出来はとても良かった。久々に自分のフルセット機材を使う。

 赤坂 BLITZ は音響が良いのでやりやすく、最も気に入っていたホールだけに、なくなってしまうのはとても残念。






8月22日 新宿ロックバー

 Aoiとサノちゃんと三人で赤坂で飲む。
 途中、ノッチーから誘いのメールで三人、夜中の新宿へ移動。
 サラリーマンスタイルのスーツ姿のノッチーとそのお友達が待っていたお店、メタル色つよいいわゆるロックバー。明るい支配人、金髪のロン毛にステージ衣装のようなコスチューム。酔っていたのでうろ覚えだが、店内、赤一色だった気がする。誰も下品なわけではないが、雰囲気は下品だ。
 ノッチーは先月Gold Rocks のライヴに何度か来ていたので、共通の話題である程度話がはずむ。
 途中で店が Magnum のビデオをかける。デビュー当時のビデオだ。Magnum Fan であるサノちゃんとノッチーはそれで盛り上がる。AoiはMagnumをナマエしか知らないので、興味津々で観る。酔いが一瞬さめる。誰も20年前の自分自身を観て手放しでよろこぶ奴なんていない。
 そのうち、雰囲気はたのしいのだが、気持ちがわるくなってきた。大笑いしている時の乱心に似ている。ハイな気分とひどく冷静な自分と。かなり酔っている証拠だ。笑いは悪の領域だ。キリストやモハメッドが生前、爆笑などしたのだろうか?想像つかない。
 そうやって、かるい音楽論(音楽論ではなかったのかもしれない)をしているノッチーとAoi をながめていると、悪魔と天使の会話に見えてきた。悪魔が小天使を騙すのに躍起になっているような。
 好感度抜群の優男ノッチーは根本がデモニッシュだ、と自分は感じる。そこがほんとうのノッチーの魅力だろう。と勝手に考える。
 それにくらべて同じ好感度抜群でも Aoi はどうみても天使の類だ。全体が明るい。というか見えない明るさを発している、ように感じる。若さのせいもあるだろう。
 天使のような、とは非常に清く、しかしあもりにも人間的なエナジー、超人間を想像するが、デモニッシュさは、それとは対極な人間的魅力でもある。セックスアピールなんてこの種のものだろう。
 しかし本当は、いわゆる神も悪魔も同じものを持っている、対極なのだ。全能の神の発想の中に、悪の発想の存在のしないわけがなく、究極の悪の中に、神の発想のない筈がない。ただその微差がどちらかを決めるのではないだろうか。
 と、わる酔いしてこんなこと考えていた。(ノッチーとアオイにはイイめーわく 。)

 みんなで帰りに食ったラーメンが死ぬほどうまかった。かなり飲んでいたので、どんなラーメンだったのかはもう見えていなかった。




9月13日 ヨコハマ黄昏慕情

 横浜アリーナサウンドホールにてライヴ。
 昔、吉川君のライヴで、アリーナの方で2days して以来、このあたり(新横浜周辺)にはあまり来ていない。まぁ、関内、本牧あたりも含めて近頃まったく行かなくなった。住んでる知りあいが今では少なくなったし、なぜか遊ぶための時間がなくなってきたからだ(体感速度のもんだいか?)。以前は、都内からわざわざクルマで横浜市内までよく飲みに行ったものだったが。
 となりの横浜アリーナではユーミンのライヴがおこなわれていた。本気で観にいきたかったが無理というものだ。ユーミンさんにはわるいが、俺は荒井由実が好きだった。でもユーミンにはかわりないのでとても観たかった。

 故、鈴木いづみが言うように、横浜はやはり“ヨコハマ ”が似合う。カタカナのサマになる地名なんてなかなかない。経験していようとしていまいと、伝説であろうと実体験であろうと自分にとってヨコハマは、どうしても黄昏慕情なのだ。
 こんなに緊張感がありつつ、甘いイメージを持つ街なんて全国でヨコハマだけではないだろうか。つぎは絶対ヨコハマ市民になることに決めたっ。

 はじめてだったアリーナサウンドホールという所は、わりと大掛かりなリハーサルスタジオも兼ねているらしく、ライヴ会場は音響がとてもよろしい。
 まぁ、そんなことはいいか。

 先週、ギターの Dai ちゃんとドラムの Kenken が Gold Rocks を抜けることになり、Gold Rocks with Jimmy最終回( Gold Rocks のゲストギターをやるのは、この日が最後であるのはあらかじめ決まっていた。)のこの日、その発表があったので、ライヴにいつものパーティー気分はなく、シリアスすぎる雰囲気となった。なので、場を明るくしようと、なにかジョークでも飛ばさなくてはと思い、ついマイクを握ってしまったのが今回もいけなかった。「離婚成立おめでとうございまーすっ。」と言ってしまったのだ。コトバはコワイ。これで、ますます Gold Rocks を窮地に追い込んだ張本人だというファンからの疑いが晴れることなど無くなってしまったのを知るべきだろう。アホだ。
 事実上、 Gold Rocks オリジナルメンバーのライヴはこれが最後になった。自分からしてみれば、バンドとのセッションからわずか二ヶ月半。なんと短かったことか。こういうタイミングで、ある意味最悪なかたちで Aoi と新たなバンドをスタートさせる状況になってしまった。
 この日、ライヴのできは、演奏自体かなり良かった。

 ドラマチックな打ち上げ早朝まで。




9月16日 〜 9月29日

 残る今月いっぱい、新しいバンドの曲づくりに集中する覚悟をした。今回は基本(?)に戻ってオール生を強調したいから、自宅作業はあくまでデモ録音だ。なのでデジタリックな編集に時間をかけるつもりはなく、完成形には、たとえば「IGNITION」のような全体に漂う深刻さ加減はないだろう。(前回でもわかったが、作業が単体の意思でアレンジや編集に時間をかければかけるほどシリアスな主張になりやすいようだ。 )

 外出することほとんどなく、昼頃起きて早朝に寝る日がつづき、テレビも見ることなく、世間で何が起こっているかもわからないまま、とくに後半は変質者のように没頭できた。こういうのはスポーツの至福感にも似ていて、やりはじめが苦痛でも4、5日すぎるとあと半月でもやり続けられそうな、孤独に対して超越したかのような自信というか快感がこみあげてきていつもの自分でなくなってくる。しかしここまできたらヤバイとも思うので、あらかじめ始まりから2週間ほど先に人と会う約束をしたりもしているが、ほんとはあまりヤバイと思っていない。人にこういう生活を言うと気持ちわるがられるのでヤバイとおもうのだ。
 兄弟もいないまま両親共稼ぎの中で育った為か、ひとり遊びがおじょうず。いつだったか、レコーディングか何かの予定が延びて、ひと月ほど間ができてしまい、その間、一日中寝室の黒いカーテンも開けぬまま、ひと月近くジャンコクトーの全集を読みあさったことがあった。(もちろん時々は人とも会いましたが。)そんな環境の中、評論「阿片」ははまった。真冬だったせいで夜の征服時間は永く、逆転した生活時間帯の中、いま考えてみるとまともな昼間を見たおぼえがなかった。



 さしずめ今回はひとり遊びでなく、ひとりギターか。

 結果、とてもいいのが4曲できた。かなり自信作です。バンドを始めるには始まりの曲がカンジン。
 あとベーシストとドラマーを探し、バンド名を決めなければならない。予定では年明けからレコーディングに入り、アルバム一枚分の曲作りとライヴ数本を今年中にやるつもり。





愛しのマグナムファンヘ  ( 10月1日 )

 この公開日記も始めてから、早一年。
 MAGNUM がライヴをできないでいるのは、どうしても超えられない理由があるからです。
 その気になれば、こじつけの理由なんていくらでもならべられるのかもしれないが、ファンに対してそこまで失礼な俺たちではありません。ただ、公表できない事もあるのです。
 しかし再始動した以上、MAGNUM が解散することは二度とありません。
 44MAGNUM とあたらしいバンド、どちらが本妻で愛人かとかいうふうに時に訊かれますが、自分にとって両方本妻であり、大切なバンドです。まあ、歴史からいえば44MAGNUMが第一夫人みたいなものかもしれません。
 そして、ファンが何より如何にかけがえのない存在であるかは、あとのメンバー、大石含め同じおもいだと思います。きれいごとじゃありません。

  ジミー





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